『さおりあらいずの1000ぶろぐ』とは。
さおりあらいずとは、いったい何者なのか。
ちゃんと自己紹介もせずに、ブログを書いていました。
「別に興味ないよ」ってかたは、閉じてもらっても結構です・・・!!
サイドバーの簡単なプロフィールを見て、
なんとなく興味を持ってくれた方、似てるな、と思ってくれた方は
少しの間お付き合いいただければと思います。
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0歳 東京都杉並区で生まれる
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14~
15歳 KAT-TUNに母と共にハマる、高校入学前に母の乳がんが見つかる(治療開始)
16~ 都内の英語に強い女子校へ入学。華のJK。セーラー服。
18歳 青春を謳歌する。毎日楽しくて箸が転んでも笑っていた
19~
20歳 華の女子大生になる。1女最高。バイトしながら勉学に励む。
→祖父の胃がんが見つかる
→母の乳がんは安定し、一ヶ月検診から半年検診、一年検診・・となっていた
22歳 祖父の容態が急変する。3ヶ月後他界。精神的に物凄く落ち込む。
→就職活動はしなかった
23歳 大学卒業。母と二人で祖母の家から仕事、わたしはバイトへ
24歳 落ち着いてきたころ、母に新しい乳がんが見つかる(再発ではない)
→100人に1人と言われている炎症性乳がん
25歳 治療をしながら食事療法を取り入れる。食事はわたし担当。
→が、1年9ヵ月の治療もかなわず52歳になった一週間後に他界。
脱力と無気力で、数ヶ月家からまともに出られなくなる
26歳 毎日母のそばに行きたいと思っていた
→バイトの人達や周りの人のおかげで、徐々に元気を取り戻す
27歳 美容脱毛のエステティシャンに就職。激務と人間関係に悩み適応障害とうつになる
28~
29歳 通院。彼と出逢い、婚約・同棲を経て結婚。
27歳から通院しながらリハビリ・運動の為に始めたバイトで腰を痛める(2020年初め)
元々ブログを書くこと、アフィリなどをやっていたので
本格的にブログをスタートすることを決意。
32歳現在 今後、子供の事や将来の事を見据えブログで生計を立てていく事を本格化。
全然サクッとじゃないニャ・・・
25歳のときに母を乳がんで亡くしました
簡単なプロフィールや経歴にも書きましたが、
最愛の母を乳がんで亡くしました。
二度目の発症です。再発ではありません。
母が二度目にかかった乳がんは「炎症性乳がん」と言うものでした。
100人に1人と言われる、稀なケースの進行性の乳がんです。
一度目の乳がんの最後の1年検診で、
それがなにもなければ、もう来なくて大丈夫だよ、という段階での発覚でした。
今でも、 診察室から出てきた母がくもった表情で
待合室の片隅で待っているわたしのもとへ向かってきながら
「・・・だめだった」と言った姿、
そのあと会計が終わり
泣きながら「まだあんたには教えなきゃいけないことが沢山ある、だから死ねない。
ママ、がんばるから。」と言っていた姿が忘れられません。
治療を開始し、抗がん剤、手術、放射線・・・と
一度ならず二度も経験しなければいけないことに母も相当落ち込んでいました。
わたしも毎日不安で、心配で、調べれば調べるほど悪いことしか書いていなく
「ママが死んじゃったらどうしよう」と考えていました。
でも、一番不安なのも、辛いのも母。
だから、わたしが泣けばもっと不安になるだろうし、心配をかけてしまうと思ったので
強い気持ちで、治る、治る!と思いながら
いつも、明るく励まし、支えることを心がけました。
食べ物にもこだわり、
がんに効く食材をかたっぱしから食卓に取り入れました。
少し複雑な家庭で、父には別の女性がいるのですが
それでも、父も病院への送り迎えなどは積極的にやってくれ、
職業柄、食べるものに対してのアドバイスなどもしてくれていました。
母方の祖母、叔父(母の弟)、含めて家族一丸となって
母の乳がんをやっつけようとしていたのです。
母もそれに応えようと辛い治療を一生懸命に頑張ってくれていました。
でも、母やわたしたちの願いは神様に届きませんでした。
2015年11月13日に52歳で母はこの世を去りました。
母の誕生日からちょうど一週間のことでした。
それからのわたしは酷く落ち込み、何もする気が起きず
改めて、母の存在の大きさ、偉大さを痛感しました。
母親だけど、親子だけど、姉妹のような関係だったので、
喪失感は並大抵のものではなかったです。
そんなわたしを救ってくれたのが、祖母や叔父、友人、母関係の方々、
そして当時していたバイトの人達でした。
なかでも、「辛いときこそ、働きにこい。みんなの顔を見においで」と
責任者が言ってくれた言葉に本当に救われた。
そのうちに、段々と、元気を取り戻していけたのです。
母の死を乗り越え就職。でも・・・
しばらくは、祖母の家に滞在、
その後は祖母宅と自宅を行き来しながら、バイトを続けていました。
そして母の死から2年が経つ頃、就職しようと考えました。
わたしにとっては、初就職。
祖父の病が重くなった頃がちょうど就活時期で
全くと言っていいほど気持ちに余裕がなく、就活する気になれませんでした。
少しでも祖父の傍に居たかった、というのが一番でした。
その後に母の病気のこともあったので
わたしにとっては遅ればせながら、の就活でした。
でも、「就活」とはいえ
自分のなかではすでに「ここがいい。」と決めていました。
その場所が、たまたま、顧客として通い始めた脱毛エステです。
初めて入店したときに、本当に丁寧で親切なエステスタッフを見て
「自分もこうやって人に喜ばれる接客をしたい」と強く、思いました。
それが、就職しよう、と思ったきっかけのひとつでもあります。
応募から始まり、書類選考、web面接を経て
無事内定をもらうことができました。
研修期間はわたしにとって、とても楽しく学べる環境でした。
しかし、配属の決まった店舗での日々は想像を絶するものでした。
わたしが通っていた店舗ではないし、
外で見ていた世界と実際は違う、そう思いました。
研修を終えた直後から
とにかく、はやく覚えて欲しい
どうしてこんな事も出来ないの
そんなんじゃ、来月からのひとりだち相当大変だよ
この言葉が、、毎日呪文のように続く。
覚えないといけないプレッシャーと
こなしていかなきゃいけない脱毛のテスト。
雑用をしている時だけがわたしの心の癒しでした。
段々と、指示をされてもわからなくなり
「いま」言われたことも覚えられなくなりました。
片耳も原因不明の難聴になりました。
限界に達し、このままでは死んでしまう、とすがる思いで病院に行き
「適応障害」と「軽度のうつ病」と診断されました。
毎日、休まずに出勤はしていたので、
わたしの事を理解してくれる上司もいて
辞める事を少し悔やんだりもしましたが、退職しました。
それから
心療内科に通院、カウンセリングも同時に受けることになったのです。
心療内科に通いつつバイトを始めて3年・・・事件が
心療内科に通院、
病院内に派遣されている専門の先生とカウンセリング、を同時におこなうこと数ヶ月。
リハビリと運動のために、新しくバイトを始めてみることにしました。
たまたま、当時大学生だった友人がバイトを探していたので
一緒に働くことにして、友人がネットでバイトを見つけてくれました。
それが今の職場です!
今よりも多い薬を飲みながら、カウンセリングにも通いながら働いていて
たまに体がしんどいときもありましたが、友人もいるし
環境もとても良く、続けることができました。
病気にも理解のある会社だったので、それも凄く大きかったです。
1年後に友人は就職して、バイトを辞めてしまいましたが
わたしはその後も一人で続けて、今に至ります。
カウンセリングはバイトを始めた年の年末まででとりあえず終わりにし、
あいかわらず通院はしていますが、薬の量はとても減っています。
体調に波はあれど、仕事に行けば楽しく働いている・・・
そんななか、事件は起こります。
働きはじめて3年目の2020年、お正月明け初出勤を終えてから
腰に一瞬、激痛がはしりました。
ぎっくり腰ではないようで、でもその刺すような激痛が時折やってくる。
仕事柄、立ったり座ったりも多く、重いものを持つときもあるので
その蓄積かな?と思いました。
ときどき、同じような痛みを感じることは昔からあったはあったのですが
すぐ治っていたんですね。
でも今回は全然治らない。
少し治まっても、重いものを持ったりすると
きゅーっと痛くなってくるんです。
仕事にも支障が出てしまうので、病院にかかることに。
でも、病名はつきませんでした。
医師には
「女性には多いんだけど腹筋が弱まってるから
重いものをもつときに腰だけで支えてしまってるんだと思う。
だから日ごろから腹筋を鍛えてね」
と言われました(笑)
それからは、自分でも意識して物を持つようにしたり、
仕事を始める前に柔軟をしたり、腹筋をしたりするようにしました
が、やっぱり痛くなる。
まだ出産もしてないし
このまま腰を酷使するのはどうなんだろう・・・・
そう考えるようになりました。
それでブログを始めようと思ったんだニャ?
そうなの。昔からブログやアフィリはやっていたしね!
こういった経緯があって
ブログをスタートしブロガーとしてやっていこう、と思ったのです。
アフィリもかじるほどしかやっていないし、初心者同然です。
でもこれからの自分の事、将来の事を考えたら、
始めるなら今しかない!!と強く思いました。
おうちのことをしながらブログで収入を得たい。
今ブロガーとして頑張っていれば、今後、もし子供が産まれても
気にせずにより良いブロガーとしてやっていけるかもしれない。
広いビジョンで考えたとき、「わたしにはこれしかない」と感じました。
最愛の祖父と母の死、自分の病気のこと、とても辛かったですが
その時の自分があったからこそ、乗り越えてきたからこそ
今こうしてブログを書けている自分がいるんだと思います。
自分が経験したことの、出来る限りの知識で
世の中の、同じような思いをしている方へ少しでも参考になるように。
なので、今後母の乳がんのこと、治療中のことなども書いていきます。
大好きな美容、恋愛系についてももちろんですが!
とても長くなりましたが、以上が
自己紹介とブロガーを始めようと思ったワケでした。
まだまだ不慣れですが、日々精進します!